日記 妻の入院のことなど

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80歳にはこんな時間があるのだと知った、

2020.11.19. (木)

妻が大腸癌だという。妻は私より四歳年長だ。

今月に入って集中的に検査を受けた。胃の内視鏡とCT、大腸内視鏡、など(11/4,19)。今日、内科担当医の診断。結果について、直接聞くよりも家族に伝えてほしいというので、長女と一緒に聞くことにした。長女は薬剤師で医事の知識や患者対応は職業的に心得ている。そして。私は当然聞くべきだ。

その結果が大腸癌で、外科的診断を受けることになった。体力的に手術が可能か、など。

 意思から診断を聴いた当日は、妻には「外科の診察を受けることになった」とだけ伝えた。長女はやはり少し動揺していたようだ。その日のうちに次女と話したようで、「お父さん、明日お母さんに一緒には話そう」という。検査の時から最悪ということもありうる、と思っていても最悪とはどういうことかについて自分でもちゃんと分かっていたわけではないということを思い返している。多分、様々なことが変わるのだ、と思う。

 

11.20.(金)

 朝、長女が来たので検査結果について一緒に妻に話す。長女は歩いて100歩の所にいる。

「大腸に腫瘍があって、小さな癌だな。"本人は食欲がないとか気分が悪いとか自覚症状はないようです"と先生に言ったけど、そうならないうちに、手術をするかどうかを外科の先生に診てもらうのが良いでしょう、ということなんだって。」

妻は頷いて「分かった」という。驚きや落ち込みはない。いたって普通の反応だ。時間が経つとどうなるだろうという不安はあるが、取り敢えず最初のハードルは超えた。少し緊張が解けたが、これからどうなる?という思いは当然続く。

 

11.24.(火)
 予定していた12月の京都旅行をキャンセルする。京都は逃げない、と思いつつ、ではまた行ける日が来るかどうか、とも思う。

 

11.25.(水)

妻、かかりつけ医でインフルエンザの予防接種。長女付き添い。

なんとなく反応が弱気。戻ってきて「どうしたのだろう?」というと「やっぱり気になってるんだよ。そりゃショックだと思うよ」という。そっか・・・。

これから万事変わる。今まで通りとはいかない。

 

11/26(木)

町田市民病院外科医の診断と検査。

明快な説明の後で「早く手術治療して良くなりましょう」という。安心と期待が伝わってっくくる対応だ。「いい先生だね」と長女。そう思う。

11時半の検査終了までひたすら待つ。

最後にもう一度外科医の説明。妻に「良いご家族で良かったですね」と言う。

長い半日だった。

 

11/27(金)

 入院、手術までの段取りなど長女と確認。

 

11/30(月)

 次女来る。毎月曜日は、仕事が休みなので、ランチを作りに来てくれる。
百合丘から車で15分。今日は、かき揚げうどんに生ハムと蕪のサラダ。
妻は、器具を使って呼吸器のトレーニング始める。

手術のために肺機能の強化が必要だという。一生懸命にやっている。

 

12/3(木)

 町田市民病院
入院前に口腔外科の検査。

 

12/4(金)

 自費出版関係で中央公論事業出版打合せ。
校了 装幀最終打合せ 若干の修正
上りは年明けになるという。

 

12/7(月)

 入院前PCR検査。次女の車で送迎。

 妻は「スキーシーズンが来るね。行ってくれば。」という。
行けるだろうか。

12/8(火)

 心エコー検査。長女夫婦が同行。
留守番の間に庭整理。

 

12/10(水)

 昨日から長女が入院の支度をアレコレ。

 本人は普通にしているように見えるが、「やっぱり不安がってるよ」という。

 

12/11(金)

 9時半病院着。
麻酔医の説明など受けてから入院手続き。
コロナ対応で、付き添いは入院棟のスタッフステーションまで。

 「元気出すんだよ」と言って送る。
検査以来の緊張が少し解けたような、不安感は増したような不思議な感じ。
帰宅して、妻が不在で過ごすのはいつ以来か考えてみたが思い出せず。

 夕方、電話する。個室なので電話の制約はない。

 

12/12(土)

 朝7時にTEL。

 声は元気だ。よく眠れたという。

 

12/13(日)

 長女とスーパーに買い物。まとめ買い。
朝、昼電話。

 

12/14(月)

 病院。本人同席で術前説明。
分かり易く、それなりに気配りのある説明だと思う。

 

12/15(火)

 手術当日。

 朝、電話。今日は本番だね、というと「ウン」と落ち着いて返事。

 本人は不安なんだろうと思う。

 昼前に長女と病院着。

 病室近くのスタッフステーションで顔を合わせて、そのまま手術室まで送る。

 「先生にお任せして心配するんじゃないよ」という。

 ひたすら待つ。4時間。

 途中で、病院の介護担当者などの説明。要介護か・・・。

手術終る。

担当医師の説明。

患部の切除は予定通り。他の部位への転移は見られない。「落ち着いたら歩行のリハビリなどしましょう」という。
切除部分を見せられたが、思ったより大きくてショックだった。

それからさらに1時間。病室に戻る前に本人と顔を合わせる。意識が戻っていて、反応がある。長女と二人で声をかける。
ホッとすると同時に、これからが長いのだろうとも思う。しかし、その実感がない。
帰宅。長女宅で夕食。次女に報告。

(手術を待つ間、西の空はどんどん変化していった)

 

12/16(水)

 電話をしていいものかどうか、負担も大きいだろうからと思い今日はせず。

 午後、放送人の会。 

 

12/17(木)

 朝、電話。

「モシモシ・・・」の声が聞こえるまでの時間が長かった。

 声を聴くとホッとする。まだ声に力がない。

 

12/18(金)

 朝7時半、夕方5時半に定時電話。

 午後、赤坂で自分の定期のマッサージ。首筋と腰・脇腹に負担がかかったのだろう、痛み

がある。このマッサージ師には15年麺店ナンスして貰っている。

 

12/19(土)

 一人で自宅で過ごすと、時間というものはこのように過ぎていくのかと思う。

 

12/20(日)

 毎日定時電話。声に少しずつ力が入ってきた。

 明るく元気な感じが戻ってきたように思える。

 

12/21(月)

 次女来る。今日は牡蠣とほーれん草のバスタ。美味しい。
病院から電話あり。明日血液検査。結果が良ければ23日以後退院できます、という。血液検査の結果は明日中に電話するとのこと。
23日は都合が良くないので24日でどうか、明日の連絡の際に知らせることにする。

 心づもりより早く退院になりそう。何よりも本人が嬉しいだろう。

夕方の電話で「退院が早まるかもしれない」というと嬉しそうだった。

 

12/22(火)

 午前中業者が換気扇掃除。

 外科の担当医から長女に電話。

「経過が良好なので退院可」。「24日に迎えに行く」というと、その日に自分から説明する、という。10時予約。「とてもいい患者だが、横になっている時間が長い。もっと歩行などした方が良い。」と言ったという。第一連絡者は自分にしたのだが、長女との会話から医療従事者の知識を感じたのだろう。高齢者より長女にコンタクトするのがベターと考えたのだろう。ちょっと違和感があったが、考えてみればもっともだ。医師という職業から見れば、すぐに分かったに違いない。

 

12/23(水)

 放送人の会。総務委員会。年内の作業終了。

 夕方の定時電話できず。
年賀状出す。

 

12/24(木)

 妻退院。

 長女と9時半病院着。しばらく待機。

看護師さんが入院中の荷物を運んでくれる。

割ととしっかり歩いて出てくる。ホッとする。

医師の説明。とてもいい患者さんだけど、看護師さんに頼らないでもっと体を動かした方が良かったと言われる。帰宅後の第一課題。入浴も許可。

 会計などすませて昼過ぎ帰宅。

 久しぶりに二人で簡単な夕食。
長女がまた夕方来てくれて妻を風呂に入れてくれた。助かる。

 次女からも電話とLINE。
妻は二階の寝室に自力で上がる。

 

12/25(金)

 夜中、妻が頻繁にトイレに立つ。ちょっと心配。

 本人に声をかけると、「大丈夫だよ」という。

 朝は、一人で階段を歩いて降りた。

 

12/26(土)

 ほぼ日常に復帰した感じがする。
夕食時などの調理に手を貸す。

 

12/27(日)

 長女と正月用食品などスーパーで買い物。

 

12/28(月)

 この数年、年末の大掃除をやらなくなった。
気になるところをぼちぼち。
自費出版の見本本届く。校正漏れに気づくが如何ともし難し。

 

12/29(火)

 長女次女の夫たちと恒例の年末ゴルフ。
往復とも順調。年末に出かける人が減っている。

12/30(水)

 床の間、玄関廻り、庭の枯れ葉、など少し片付け。
お飾りと干支の置物を出す。

 

12/31(水)

 デスク回りの片付けと一年分のレシート、メモ類処分。

 夜、長女宅で次女一家も一緒に年越し夕食。

 妻の実家から届いた鮪、長女の夫が用意した蟹など。年越し蕎麦。

長女次女と孫が三段のお重に詰めてれた。

 

2021.1/1(金)

 元旦。

 妻が家で正月を迎えられて良かった。

 

1/2(土)

 お節と雑煮。

 妻の箸が特に進むということはないが、食べやすいものをゆっくり食べている。 

 それでいいのだろう。穏やかに過ごしてほしい。 

自分は、自室で駅伝とラグビーをテレビ観戦。少し飲み過ぎ、というより弱くなった。 

 

1/3(日)

 お重のお節は食べ終わった。適量。

 正月終了。

 

1/4(月)

 通常食に戻る。

 トースト、スープなど。

 昼は次女が崎陽軒の焼売弁当など調達。

 政府は緊急事態宣言など検討という。首相会見は内容も語り口も全く不明瞭。

 

1/6(水)

 穏やかに日常が過ぎていく。

 

1/7(水)

 妻、市民病院外科担当医の診察。

 術後の状態は正常。手術による患部摘出は問題なし。転移も見られない。

症状はⅢbという。全く再発リスクがないわけではないが、レベルは低い。

再発防止のために抗癌剤投与もありうるが、高齢者にとって副作用の負担は小さくない。

どうしますか?という。

次回の診察までに本人、家族の考えを決めてください、という。

 

1/8(金)

 あさ、昨日の医師の話について妻と会話。
・ 手術が上手くいったということをまずは良しとしよう。
・ 再発のリスクはゼロではないが、体の負担が大きい(可能性のある)抗癌剤は避けたい。

・  (年齢相応に)体の自然に任せたい。

・  万一再発という場合は、その時ベストと思う方法で頑張ろう。

 ということにする。

 長女来て改めて会話。了解。納得。

 

 放送人の会 事務所開き。新年都心へ初外出。
夕方、テレビマンユニオンで今野氏打合せ。コロナ状況での来年度運営体制、など。
終って、スペインバーで1時間ほどワイン。客誰もなし。
今野氏に自費出版本の話をして、「完成後に校正漏れを発見して悔しい」と言ったら、「そんなのいくらでもあるよ」と言われる。少しホッとするような気もするが、悔しいものは悔しい。

 

1/9(土)
午後、浴室のリフォームで業者と打合せ。

 

1/10(日)

 妻は、退院後、初めて長女と一緒にスーパーに出かけた。人も多いだろうし、足元は大丈夫かと心配したが、無事帰宅。

夕食は、水炊き。歯も弱っているし、鶏肉は大丈夫かと思ったら食が進んで安心。

 

1/11(月)

 長女宅で昼食。

 

1/14(木)
自分の定期検診。バスで8停留所ほど。気持ちが良いので歩く。
早く診察が終わったので、帰りも別コースで歩く。
6.2km.往き35分 帰り40分。10年前に比べて5分ほどかかっている。同じリズムで歩いているつもりだが、ま、仕方がない。

 午後、風呂場のリフォーム工事担当者が来て打合せ。

自費出版本の完成見本届く。装幀凄く良い。

1/15(金)

 雨模様。寒い。
本の進呈リスト宛名。レターなど印刷。

 

 

 

1/16(土)

 一転して暖かい。晴れ。

洗濯、掃除、など。

妻もリビングに掃除機など。

 

1/19(火)

 赤坂、マッサージ。
寝違えたのだろう首筋の違和感が続いている。11月頃から。
重点的に治療。
このマッサージ師にはかれこれ15年は世話になっている。
昼はグラナータ。ニンニクと唐辛子のアーリオオーリオ。

 

1/20(水)
放送人の会事務局。
本贈呈配布用200冊届く。
宛名ラベル、手紙折り込み、など。深尾、須斉の2人助っ人。ありがたい。

理事会員関係は作業終了。個人分は月曜。

 

1/21(木)

 妻、検診。長女同行。
経過良好。抗癌剤の投与はしないという意向を伝えたところ、了解との由。

 

1/22(金)

 長女宅で妻と一緒に昼食。

 

1/23(土)
本の配送リスト追加、など。

 

1/24(日)
雪予報だが一日氷雨。
冷える。

 

1/25(月)

 事務局で残りの贈呈分発送作業。ほぼ終了。

 通読した深尾君が記述ミスと校訂漏れを指摘。

 その通り。
少し回復していた気分がまた落ち込む。
集中力の欠如。歳だ!!明らかに。

 

1/26(火)

 贈呈作業のフォロー。
FBにアップ。

 告知と訂正と。

 夕食に焼うどん作ってみた。なかなか良い。

 

1/27(水)

 事務局 経理打合せ 町並さんに本贈呈。

委員長会議。

いつもなら、終わって一献というところだが、この状況ではそのまま解散。

 

1/28(木) 

今日から浴室リフォーム。初日は旧浴室解体。

午後、小石川012茶話会

 オリンピックについて オリンピックと政治、オリンピックとビジネスナショナリズムについて結構いろんな発言があって良かった。

「穏健なナショナリズム」というのは概ねの志向だろうが、イズムというのは穏健を超える

潜在性ないしは本質を持つから難問なのだと思う。

 

1/29(金) 

放送人グランプリ「下馬評座談会」

メディア状況について「学術会議」問題の対応など。いろいろ意見あり。総理会見につい

ても。

「三島VS東大全共闘」を強く推薦する。

 

1/30(土) 

ユニット作業。

作業中に元の窓枠の再利用の予定が微妙に合わず。新ユニットのモノを使用することに

なり、作業難渋。終了が22時。

作業車がエンスト。23時近く帰った。

1/31(日)

リフオーム関係。暖房関係など作業順調。

 数日ぶりに入浴。気持ち良かった。

 

2/1(月) 

毎月月初めに妻は血圧、体重の測定。

大きな変化なし。

次女来る。久しぶりに四人で昼食。懐かしい会話と空気。

 いいものだ。

 リフオーム作業はクロス張替え終了。完了。綺麗になった。

 キレイになった風呂で手足伸ばす。

 浴室・脱衣所の暖房はありがたい。浴室に手すりを増やして安全確保。

この4日間、疲れた。

風呂場の暖房器具をONにすると他の暖房聴く家の運転状況でブレーカーが落

ちることが判明。要注意。

 

2/2(火)

朝、長女が来て豆撒き。

 この数年の慣習。

 布団や床に落ちた豆を見ると無子供の頃を思い出す。

 畳の上に落ちた豆を、夜布団に入ってから拾って音を立てずに食べるひそかな楽しみ。

 

2/3(水)

 TBS顧問室。大川氏。

放送人の会。

 6日の理事会を書面開催にした事務処理対応。

 帰りに深尾、須斉三人でちょっと歓談。

 

2/4(木)

 定期検診。

夜の降圧剤を強いものにした結果の診断。効果あり。

片道徒歩。

 

2/5(金)

 本のリアクション整理。

 

2/6,7,8,9.
  特に何もせず。
 洗濯掃除など。
 クックドゥーの麻婆茄子作ってみる。

 

2/10(水)

 TBS顧問室。鴨下信一氏訃報。中澤氏来る。

事務局。書面理事会議事録関係。来季運営体制、など。

 夕方、市川君と懇談。砂場。

 

2/11(木)

 連国記念の日って何だ。

 

日記中断

 

3/8(月)

 妻、肺炎で町田市民病院に入院。

気持ちに衝撃がある。今度は肺炎か・・・。 

 

妻が大腸癌の摘出手術を受け、幸い術後の経過も順調で自宅で正月を迎えることが出来て、少しずつ体調も回復して日常が戻ってきたような感じがしてきたところだった。コロナの不安も日常化してきたような感じになっていた。数日前に、薬剤師の長女が「お母さんの呼吸が辛そう」という。今日、かかりつけ医に診てもらうと肺炎だろうという。医師の判断で、そのまま町田市民病院に入院を指示された。酸素ボンベを借りて長女が同行、私が当座のものを持って病院で合流。
 そこから三週間、再び入院生活だ。新型コロナではないと診断された。
日々の状況は暮と同じだ。コロナ状況で見舞いは不可。朝昼晩の電話とスタッフステーションへの届け物、医師の診断報告の時だけが病状の手掛かり情報。

4/2. 退院

 妻、帰宅。足元が不安。

新しい生活習慣が始まった。
随時酸素測定をするが、少しのことで90を割ってしまう。取りあえず、スポーツ用の酸素補給ボンベを用意するが何とも頼りなく落ち着かない。結局かかりつけ医に相談して、介護用の酸素生成器をレンタルする。市の介護担当に相談すると「要介護3」と判定。
高齢者として特段異常なことではない。本人は内心どうかはともかく落ち着いて受け入れている。酸素を常時補給されるということは、火に近づくことが厳禁である。だから、調理はさせられない。幸いというべきか、去年の暮と今年の春と妻不在の日常を送ったので、自分にとっても「事件だ!」という不安やショックもない。
というわけで、以後三食(昼食はパン屋で調達するなどだが)の支度は私の仕事になった。洗濯は数年前から物干し作業が妻には負担になってきたので私の担当だった。トイレ掃除、ゴミ分別なども自分でやっていた。だから、家事労働そのものが辛いとか不満だとかは全くない。自分のことは自分で、という習慣は高校生の時からの下宿生活で身についている。
 では、何の問題もないのかといえば、家にいる時間は当然長くなるのだが、家事の間の 気持ちの切り替えが上手くいかない。ここからは自分の時間で集中して何か(本を読む、パソコン作業をする、など)をするモードに切り替わらない。メリハリがないままただ時間が過ぎて行く。そのうちまた何かの家事が待っている。特に、コロナ禍と言われる状況で外出もままならないので映画や展覧会の鑑賞、外食や買い物で紛らわすこともできない。それが辛い。欝々と日が過ぎる。このまま80歳が過ぎて行く。
 長女は歩いて100歩の距離にいるので毎日寄ってくれる。入浴や着替えなどいろいろ気配りをしてくれて助かる。次女は車で15分なので週に一度は一緒に昼食を楽しんでくれる。私は凄く恵まれている、と思う。

 この間、妻の居室を二階から一階に移す。日常の生活は一階だけで全て済ませられる態勢にした。風呂、トイレ、エアコン、玄関の外階段のリフト取り付け、など、生活補助効果のある工事を進めて居住環境を整備する。

 こうして、短い春が過ぎ、梅雨もそして暑さと長雨の夏も逝き、秋になった。
 直ぐに冬が来るだろう。


9/9.(木)

今日、学生時代以来友人の訃報。
また一人いなくなってしまった。
いい飲み友達だった。彼のおかげで京都散策の楽しみを知った。

京都に行きたい、と激しく思う。

数年前までは、それはスペインだった。

日記 妻の入院のことなど

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80歳にはこんな時間があるのだ知った、

2020.11.19. (木)

妻が大腸癌だという。妻は私より四歳年長だ。

今月に入って集中的に検査を受けた。胃の内視鏡とCT、大腸内視鏡、など(11/4,19)。今日、内科担当医の診断。結果について、直接聞くよりも家族に伝えてほしいというので、長女と一緒に聞くことにした。長女は薬剤師で医事の知識や患者対応は職業的に心得ている。そして。私は当然聞くべきだ。

その結果が大腸癌で、外科的診断を受けることになった。体力的に手術が可能か、など。

 意思から診断を聴いた当日は、妻には「外科の診察を受けることになった」とだけ伝えた。長女はやはり少し動揺していたようだ。その日のうちに次女と話したようで、「お父さん、明日お母さんに一緒には話そう」という。検査の時から最悪ということもありうる、と思っていても最悪とはどういうことかについて自分でもちゃんと分かっていたわけではないということを思い返している。多分、様々なことが変わるのだ、と思う。

 

11.20.(金)

 朝、長女が来たので検査結果について一緒に妻に話す。長女は歩いて100歩の所にいる。

「大腸に腫瘍があって、小さな癌だな。"本人は食欲がないとか気分が悪いとか自覚症状はないようです"と先生に言ったけど、そうならないうちに、手術をするかどうかを外科の先生に診てもらうのが良いでしょう、ということなんだって。」

妻は頷いて「分かった」という。驚きや落ち込みはない。いたって普通の反応だ。時間が経つとどうなるだろうという不安はあるが、取り敢えず最初のハードルは超えた。少し緊張が解けたが、これからどうなる?という思いは当然続く。

 

11.24.(火)
 予定していた12月の京都旅行をキャンセルする。京都は逃げない、と思いつつ、ではまた行ける日が来るかどうか、とも思う。

 

11.25.(水)

妻、かかりつけ医でインフルエンザの予防接種。長女付き添い。

なんとなく反応が弱気。戻ってきて「どうしたのだろう?」というと「やっぱり気になってるんだよ。そりゃショックだと思うよ」という。そっか・・・。

これから万事変わる。今まで通りとはいかない。

 

11/26(木)

町田市民病院外科医の診断と検査。

明快な説明の後で「早く手術治療して良くなりましょう」という。安心と期待が伝わってっくくる対応だ。「いい先生だね」と長女。そう思う。

11時半の検査終了までひたすら待つ。

最後にもう一度外科医の説明。妻に「良いご家族で良かったですね」と言う。

長い半日だった。

 

11/27(金)

 入院、手術までの段取りなど長女と確認。

 

11/30(月)

 次女来る。毎月曜日は、仕事が休みなので、ランチを作りに来てくれる。
百合丘から車で15分。今日は、かき揚げうどんに生ハムと蕪のサラダ。
妻は、器具を使って呼吸器のトレーニング始める。

手術のために肺機能の強化が必要だという。一生懸命にやっている。

 

12/3(木)

 町田市民病院
入院前に口腔外科の検査。

 

12/4(金)

 自費出版関係で中央公論事業出版打合せ。
校了 装幀最終打合せ 若干の修正
上りは年明けになるという。

 

12/7(月)

 入院前PCR検査。次女の車で送迎。

 妻は「スキーシーズンが来るね。行ってくれば。」という。
行けるだろうか。

12/8(火)

 心エコー検査。長女夫婦が同行。
留守番の間に庭整理。

 

12/10(水)

 昨日から長女が入院の支度をアレコレ。

 本人は普通にしているように見えるが、「やっぱり不安がってるよ」という。

 

12/11(金)

 9時半病院着。
麻酔医の説明など受けてから入院手続き。
コロナ対応で、付き添いは入院棟のスタッフステーションまで。

 「元気出すんだよ」と言って送る。
検査以来の緊張が少し解けたような、不安感は増したような不思議な感じ。
帰宅して、妻が不在で過ごすのはいつ以来か考えてみたが思い出せず。

 夕方、電話する。個室なので電話の制約はない。

 

12/12(土)

 朝7時にTEL。

 声は元気だ。よく眠れたという。

 

12/13(日)

 長女とスーパーに買い物。まとめ買い。
朝、昼電話。

 

12/14(月)

 病院。本人同席で術前説明。
分かり易く、それなりに気配りのある説明だと思う。

 

12/15(火)

 手術当日。

 朝、電話。今日は本番だね、というと「ウン」と落ち着いて返事。

 本人は不安なんだろうと思う。

 昼前に長女と病院着。

 病室近くのスタッフステーションで顔を合わせて、そのまま手術室まで送る。

 「先生にお任せして心配するんじゃないよ」という。

 ひたすら待つ。4時間。

 途中で、病院の介護担当者などの説明。要介護か・・・。

手術終る。

担当医師の説明。

患部の切除は予定通り。他の部位への転移は見られない。「落ち着いたら歩行のリハビリなどしましょう」という。
切除部分を見せられたが、思ったより大きくてショックだった。

それからさらに1時間。病室に戻る前に本人と顔を合わせる。意識が戻っていて、反応がある。長女と二人で声をかける。
ホッとすると同時に、これからが長いのだろうとも思う。しかし、その実感がない。
帰宅。長女宅で夕食。次女に報告。

(手術を待つ間、西の空はどんどん変化していった)

 

12/16(水)

 電話をしていいものかどうか、負担も大きいだろうからと思い今日はせず。

 午後、放送人の会。 

 

12/17(木)

 朝、電話。

「モシモシ・・・」の声が聞こえるまでの時間が長かった。

 声を聴くとホッとする。まだ声に力がない。

 

12/18(金)

 朝7時半、夕方5時半に定時電話。

 午後、赤坂で自分の定期のマッサージ。首筋と腰・脇腹に負担がかかったのだろう、痛み

がある。このマッサージ師には15年麺店ナンスして貰っている。

 

12/19(土)

 一人で自宅で過ごすと、時間というものはこのように過ぎていくのかと思う。

 

12/20(日)

 毎日定時電話。声に少しずつ力が入ってきた。

 明るく元気な感じが戻ってきたように思える。

 

12/21(月)

 次女来る。今日は牡蠣とほーれん草のバスタ。美味しい。
病院から電話あり。明日血液検査。結果が良ければ23日以後退院できます、という。血液検査の結果は明日中に電話するとのこと。
23日は都合が良くないので24日でどうか、明日の連絡の際に知らせることにする。

 心づもりより早く退院になりそう。何よりも本人が嬉しいだろう。

夕方の電話で「退院が早まるかもしれない」というと嬉しそうだった。

 

12/22(火)

 午前中業者が換気扇掃除。

 外科の担当医から長女に電話。

「経過が良好なので退院可」。「24日に迎えに行く」というと、その日に自分から説明する、という。10時予約。「とてもいい患者だが、横になっている時間が長い。もっと歩行などした方が良い。」と言ったという。第一連絡者は自分にしたのだが、長女との会話から医療従事者の知識を感じたのだろう。高齢者より長女にコンタクトするのがベターと考えたのだろう。ちょっと違和感があったが、考えてみればもっともだ。医師という職業から見れば、すぐに分かったに違いない。

 

12/23(水)

 放送人の会。総務委員会。年内の作業終了。

 夕方の定時電話できず。
年賀状出す。

 

12/24(木)

 妻退院。

 長女と9時半病院着。しばらく待機。

看護師さんが入院中の荷物を運んでくれる。

割ととしっかり歩いて出てくる。ホッとする。

医師の説明。とてもいい患者さんだけど、看護師さんに頼らないでもっと体を動かした方が良かったと言われる。帰宅後の第一課題。入浴も許可。

 会計などすませて昼過ぎ帰宅。

 久しぶりに二人で簡単な夕食。
長女がまた夕方来てくれて妻を風呂に入れてくれた。助かる。

 次女からも電話とLINE。
妻は二階の寝室に自力で上がる。

 

12/25(金)

 夜中、妻が頻繁にトイレに立つ。ちょっと心配。

 本人に声をかけると、「大丈夫だよ」という。

 朝は、一人で階段を歩いて降りた。

 

12/26(土)

 ほぼ日常に復帰した感じがする。
夕食時などの調理に手を貸す。

 

12/27(日)

 長女と正月用食品などスーパーで買い物。

 

12/28(月)

 この数年、年末の大掃除をやらなくなった。
気になるところをぼちぼち。
自費出版の見本本届く。校正漏れに気づくが如何ともし難し。

 

12/29(火)

 長女次女の夫たちと恒例の年末ゴルフ。
往復とも順調。年末に出かける人が減っている。

12/30(水)

 床の間、玄関廻り、庭の枯れ葉、など少し片付け。
お飾りと干支の置物を出す。

 

12/31(水)

 デスク回りの片付けと一年分のレシート、メモ類処分。

 夜、長女宅で次女一家も一緒に年越し夕食。

 妻の実家から届いた鮪、長女の夫が用意した蟹など。年越し蕎麦。

長女次女と孫が三段のお重に詰めてれた。

 

2021.1/1(金)

 元旦。

 妻が家で正月を迎えられて良かった。

 

1/2(土)

 お節と雑煮。

 妻の箸が特に進むということはないが、食べやすいものをゆっくり食べている。 

 それでいいのだろう。穏やかに過ごしてほしい。 

自分は、自室で駅伝とラグビーをテレビ観戦。少し飲み過ぎ、というより弱くなった。 

 

1/3(日)

 お重のお節は食べ終わった。適量。

 正月終了。

 

1/4(月)

 通常食に戻る。

 トースト、スープなど。

 昼は次女が崎陽軒の焼売弁当など調達。

 政府は緊急事態宣言など検討という。首相会見は内容も語り口も全く不明瞭。

 

1/6(水)

 穏やかに日常が過ぎていく。

 

1/7(水)

 妻、市民病院外科担当医の診察。

 術後の状態は正常。手術による患部摘出は問題なし。転移も見られない。

症状はⅢbという。全く再発リスクがないわけではないが、レベルは低い。

再発防止のために抗癌剤投与もありうるが、高齢者にとって副作用の負担は小さくない。

どうしますか?という。

次回の診察までに本人、家族の考えを決めてください、という。

 

1/8(金)

 あさ、昨日の医師の話について妻と会話。
・ 手術が上手くいったということをまずは良しとしよう。
・ 再発のリスクはゼロではないが、体の負担が大きい(可能性のある)抗癌剤は避けたい。

・  (年齢相応に)体の自然に任せたい。

・  万一再発という場合は、その時ベストと思う方法で頑張ろう。

 ということにする。

 長女来て改めて会話。了解。納得。

 

 放送人の会 事務所開き。新年都心へ初外出。
夕方、テレビマンユニオンで今野氏打合せ。コロナ状況での来年度運営体制、など。
終って、スペインバーで1時間ほどワイン。客誰もなし。
今野氏に自費出版本の話をして、「完成後に校正漏れを発見して悔しい」と言ったら、「そんなのいくらでもあるよ」と言われる。少しホッとするような気もするが、悔しいものは悔しい。

 

1/9(土)
午後、浴室のリフォームで業者と打合せ。

 

1/10(日)

 妻は、退院後、初めて長女と一緒にスーパーに出かけた。人も多いだろうし、足元は大丈夫かと心配したが、無事帰宅。

夕食は、水炊き。歯も弱っているし、鶏肉は大丈夫かと思ったら食が進んで安心。

 

1/11(月)

 長女宅で昼食。

 

1/14(木)
自分の定期検診。バスで8停留所ほど。気持ちが良いので歩く。
早く診察が終わったので、帰りも別コースで歩く。
6.2km.往き35分 帰り40分。10年前に比べて5分ほどかかっている。同じリズムで歩いているつもりだが、ま、仕方がない。

 午後、風呂場のリフォーム工事担当者が来て打合せ。

自費出版本の完成見本届く。装幀凄く良い。

1/15(金)

 雨模様。寒い。
本の進呈リスト宛名。レターなど印刷。

 

 

 

1/16(土)

 一転して暖かい。晴れ。

洗濯、掃除、など。

妻もリビングに掃除機など。

 

1/19(火)

 赤坂、マッサージ。
寝違えたのだろう首筋の違和感が続いている。11月頃から。
重点的に治療。
このマッサージ師にはかれこれ15年は世話になっている。
昼はグラナータ。ニンニクと唐辛子のアーリオオーリオ。

 

1/20(水)
放送人の会事務局。
本贈呈配布用200冊届く。
宛名ラベル、手紙折り込み、など。深尾、須斉の2人助っ人。ありがたい。

理事会員関係は作業終了。個人分は月曜。

 

1/21(木)

 妻、検診。長女同行。
経過良好。抗癌剤の投与はしないという意向を伝えたところ、了解との由。

 

1/22(金)

 長女宅で妻と一緒に昼食。

 

1/23(土)
本の配送リスト追加、など。

 

1/24(日)
雪予報だが一日氷雨。
冷える。

 

1/25(月)

 事務局で残りの贈呈分発送作業。ほぼ終了。

 通読した深尾君が記述ミスと校訂漏れを指摘。

 その通り。
少し回復していた気分がまた落ち込む。
集中力の欠如。歳だ!!明らかに。

 

1/26(火)

 贈呈作業のフォロー。
FBにアップ。

 告知と訂正と。

 夕食に焼うどん作ってみた。なかなか良い。

 

1/27(水)

 事務局 経理打合せ 町並さんに本贈呈。

委員長会議。

いつもなら、終わって一献というところだが、この状況ではそのまま解散。

 

1/28(木) 

今日から浴室リフォーム。初日は旧浴室解体。

午後、小石川012茶話会

 オリンピックについて オリンピックと政治、オリンピックとビジネスナショナリズムについて結構いろんな発言があって良かった。

「穏健なナショナリズム」というのは概ねの志向だろうが、イズムというのは穏健を超える

潜在性ないしは本質を持つから難問なのだと思う。

 

1/29(金) 

放送人グランプリ「下馬評座談会」

メディア状況について「学術会議」問題の対応など。いろいろ意見あり。総理会見につい

ても。

「三島VS東大全共闘」を強く推薦する。

 

1/30(土) 

ユニット作業。

作業中に元の窓枠の再利用の予定が微妙に合わず。新ユニットのモノを使用することに

なり、作業難渋。終了が22時。

作業車がエンスト。23時近く帰った。

1/31(日)

リフオーム関係。暖房関係など作業順調。

 数日ぶりに入浴。気持ち良かった。

 

2/1(月) 

毎月月初めに妻は血圧、体重の測定。

大きな変化なし。

次女来る。久しぶりに四人で昼食。懐かしい会話と空気。

 いいものだ。

 リフオーム作業はクロス張替え終了。完了。綺麗になった。

 キレイになった風呂で手足伸ばす。

 浴室・脱衣所の暖房はありがたい。浴室に手すりを増やして安全確保。

この4日間、疲れた。

風呂場の暖房器具をONにすると他の暖房聴く家の運転状況でブレーカーが落

ちることが判明。要注意。

 

2/2(火)

朝、長女が来て豆撒き。

 この数年の慣習。

 布団や床に落ちた豆を見ると無子供の頃を思い出す。

 畳の上に落ちた豆を、夜布団に入ってから拾って音を立てずに食べるひそかな楽しみ。

 

2/3(水)

 TBS顧問室。大川氏。

放送人の会。

 6日の理事会を書面開催にした事務処理対応。

 帰りに深尾、須斉三人でちょっと歓談。

 

2/4(木)

 定期検診。

夜の降圧剤を強いものにした結果の診断。効果あり。

片道徒歩。

 

2/5(金)

 本のリアクション整理。

 

2/6,7,8,9.
  特に何もせず。
 洗濯掃除など。
 クックドゥーの麻婆茄子作ってみる。

 

2/10(水)

 TBS顧問室。鴨下信一氏訃報。中澤氏来る。

事務局。書面理事会議事録関係。来季運営体制、など。

 夕方、市川君と懇談。砂場。

 

2/11(木)

 連国記念の日って何だ。

 

日記中断

 

3/8(月)

 妻、肺炎で町田市民病院に入院。

気持ちに衝撃がある。今度は肺炎か・・・。 

 

妻が大腸癌の摘出手術を受け、幸い術後の経過も順調で自宅で正月を迎えることが出来て、少しずつ体調も回復して日常が戻ってきたような感じがしてきたところだった。コロナの不安も日常化してきたような感じになっていた。数日前に、薬剤師の長女が「お母さんの呼吸が辛そう」という。今日、かかりつけ医に診てもらうと肺炎だろうという。医師の判断で、そのまま町田市民病院に入院を指示された。酸素ボンベを借りて長女が同行、私が当座のものを持って病院で合流。
 そこから三週間、再び入院生活だ。新型コロナではないと診断された。
日々の状況は暮と同じだ。コロナ状況で見舞いは不可。朝昼晩の電話とスタッフステーションへの届け物、医師の診断報告の時だけが病状の手掛かり情報。

4/2. 退院

 妻、帰宅。足元が不安。

新しい生活習慣が始まった。
随時酸素測定をするが、少しのことで90を割ってしまう。取りあえず、スポーツ用の酸素補給ボンベを用意するが何とも頼りなく落ち着かない。結局かかりつけ医に相談して、介護用の酸素生成器をレンタルする。市の介護担当に相談すると「要介護3」と判定。
高齢者として特段異常なことではない。本人は内心どうかはともかく落ち着いて受け入れている。酸素を常時補給されるということは、火に近づくことが厳禁である。だから、調理はさせられない。幸いというべきか、去年の暮と今年の春と妻不在の日常を送ったので、自分にとっても「事件だ!」という不安やショックもない。
というわけで、以後三食(昼食はパン屋で調達するなどだが)の支度は私の仕事になった。洗濯は数年前から物干し作業が妻には負担になってきたので私の担当だった。トイレ掃除、ゴミ分別なども自分でやっていた。だから、家事労働そのものが辛いとか不満だとかは全くない。自分のことは自分で、という習慣は高校生の時からの下宿生活で身についている。
 では、何の問題もないのかといえば、家にいる時間は当然長くなるのだが、家事の間の 気持ちの切り替えが上手くいかない。ここからは自分の時間で集中して何か(本を読む、パソコン作業をする、など)をするモードに切り替わらない。メリハリがないままただ時間が過ぎて行く。そのうちまた何かの家事が待っている。特に、コロナ禍と言われる状況で外出もままならないので映画や展覧会の鑑賞、外食や買い物で紛らわすこともできない。それが辛い。欝々と日が過ぎる。このまま80歳が過ぎて行く。
 長女は歩いて100歩の距離にいるので毎日寄ってくれる。入浴や着替えなどいろいろ気配りをしてくれて助かる。次女は車で15分なので週に一度は一緒に昼食を楽しんでくれる。私は凄く恵まれている、と思う。

 この間、妻の居室を二階から一階に移す。日常の生活は一階だけで全て済ませられる態勢にした。風呂、トイレ、エアコン、玄関の外階段のリフト取り付け、など、生活補助効果のある工事を進めて居住環境を整備する。

 こうして、短い春が過ぎ、梅雨もそして暑さと長雨の夏も逝き、秋になった。
 直ぐに冬が来るだろう。


9/9.(木)

今日、学生時代以来友人の訃報。
また一人いなくなってしまった。
いい飲み友達だった。彼のおかげで京都散策の楽しみを知った。

京都に行きたい、と激しく思う。

数年前までは、それはスペインだった。

妻の入院とコロナの後

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日記 妻の入院のことなど

2020.11.19. (木)

妻が大腸癌だという。妻は私より四歳年長だ。

今月に入って集中的に検査を受けた。胃の内視鏡とCT、大腸内視鏡、など(11/4,19)。今日、内科担当医の診断。結果について、直接聞くよりも家族に伝えてほしいというので、長女と一緒に聞くことにした。長女は薬剤師で医事の知識や患者対応は職業的に心得ている。私は当然聞くべきだ。

その結果が大腸癌で、外科的診断を受けることになった。体力的に手術が可能か、など。

 意思から診断を聴いた日は、妻には「外科の診察を受けることになった」とだけ伝えた。長女はやはり少し動揺していたようだ。その日のうちに次女と話したようで、「お父さん、明日お母さんに一緒には話そう」という。検査の時から最悪ということもありうる、と思っていても最悪とはどういうことかについて自分でもちゃんと分かっていたわけではないということを思い返している。多分、様々なことが変わるのだ、と思う。

 

11.20.(金)

 朝、長女が来たので検査結果について一緒に妻に話す。長女は歩いて100歩の所にいる。

「大腸に腫瘍があって、小さな癌だな。"本人は食欲がないとか気分が悪いとか自覚症状はないようです"と先生に言ったけど、そうならないうちに、手術をするかどうかを外科の先生に診てもらうのが良いでしょう、ということなんだって。」

妻は頷いて「分かった」という。驚きや落ち込みはない。いたって普通の反応だ。時間が経つとどうなるだろうという不安はあるが、取り敢えず最初のハードルは超えた。少し緊張が解けたが、これからどうなる?という思いは当然続く。

 

11.24.(火)
 予定していた12月の京都旅行をキャンセルする。京都は逃げない、と思いつつ、ではまた行ける日が来るかどうか、とも思う。

 

11.25.(水)

妻、かかりつけ医でインフルエンザの予防接種。長女付き添い。

なんとなく反応が弱気。戻ってきて「どうしたのだろう?」というと「やっぱり気になってるんだよ。そりゃショックだと思うよ」という。

そっか・・・。

これから万事変わる。今まで通りとはいかない。

 

11/26(木)

町田市民病院外科医の診断と検査。

明快な説明の後で「早く手術治療して良くなりましょう」という。安心と期待が伝わてっくくる対応だ。「いい先生だね」と長女。そう思う。

11時半の検査終了までひたすら待つ。

最後にもう一度外科医の説明。「良いご家族で良かったですね」と言われる。

長い半日だった。

 

11/27(金)

 入院、手術までの段取りなど長女と確認。

 

11/30(月)

 次女来る。毎月曜日は、仕事が休みなので、ランチを作りに来てくれる。
百合丘から車で15分。今日は、かき揚げうどんに生ハムと蕪のサラダ。
妻は、器具を使って呼吸器のトレーニング始める。

手術のために肺機能の強化が必要だという。

 

12/3(木)

 町田市民病院
入院前に口腔外科の検査。

 

12/4(金)

 自費出版関係で中央公論事業出版打合せ。
校了 装幀最終打合せ 若干の修正
上りは年明けになるという。

 

12/7(月)

 入院前PCR検査。次女の車で送迎。

 妻は「スキーシーズンが来るね。行ってくれば。」という。

12/8(火)

 心エコー検査。長女夫婦が同行。
留守番の間に庭整理。

 

12/10(水)

 昨日から長女が入院の支度をアレコレ。

 本人は普通にしているように見えるが、「やっぱり不安がってるよ」という。

 

12/11(金)

 9時半病院着。
麻酔医の説明など受けてから入院手続き。
コロナ対応で、付き添いは入院棟のスタッフステーションまで。

 「元気出すんだよ」と言って送る。
検査以来の緊張が少し解けたような、不安感は増したような不思議な感じ。
帰宅して、妻が不在で過ごすのはいつ以来か考えてみたが思い出せず。

 夕方、電話する。個室なので電話の制約はない。

 

12/12(土)

 朝7時にTEL。

 声は元気だ。よく眠れたという。

 

12/13(日)

 長女とスーパーに買い物。まとめ買い。
朝、昼電話。

 

12/14(月)

 病院。本人同席で術前説明。
分かり易く、それなりに気配りのある説明だと思う。

 

12/15(火)

 手術当日。

 朝、電話。今日は本番だね、というと「ウン」と落ち着いて返事。

 本人は不安なんだろうと思う。

 昼前に長女と病院着。

 病室近くのスタッフステーションで顔を合わせて、そのまま手術室まで送る。

 「先生にお任せして心配するんじゃないよ」という。

 ひたすら待つ。4時間。

 途中で、病院の介護担当者などの説明。要介護か・・・。

手術終る。

担当医師の説明。患部の切除は予定通り。他の部位への転移は見られない。「落ち着いたら歩行のリハビリなどしましょう」という。
切除部分を見せられたが、思ったより大きくてショックだった。

それからさらに1時間。病室に戻る前に本人と顔を合わせる。意識が戻っていて、反応がある。
長女と二人で声をかける。
ホッとすると同時に、これからが長いのだろうとも思う。しかし、その実感がない。
帰宅。長女宅で夕食。

(手術を待つ間、西の空はどんどん変化していった)

 

12/16(水)

 電話をしていいものかどうか、負担も大きいだろうからと思い今日はせず。

 午後、放送人の会。 

 

12/17(木)

 朝、電話。

「モシモシ・・・」の声が聞こえるまでの時間が長かった。

 声を聴くとホッとする。まだ声に力がない。

 

12/18(金)

 朝7時半、夕方5時半に定時電話。

 午後、赤坂で定期のマッサージ。首筋と腰・脇腹に負担がかかったのだろう、痛みがある。

 

12/19(土)

 一人で自宅で過ごすと、時間というものはこのように過ぎていくのかと思う。

 

12/20(日)

 毎日定時電話。声に少しずつ力が入ってきた。

 明るく元気な感じが戻ってきたように思える。

 

12/21(月)

 次女来る。今日は牡蠣とほーれん草のバスタ。美味しい。
ついでに、2Fの洗面台を掃除してくくれた。

 病院から電話あり。明日血液検査。結果が良ければ23日以後退院できます、という。血液検査の結果は明日中に電話するとのこと。
23日は都合が良くないので24日でどうか、明日の連絡の際に知らせることにする。

 心づもりより早く退院になりそう。何よりも本人が嬉しいだろう。

夕方の電話で「退院が早まるかもしれない」というと嬉しそうだった。

 

12/22(火)

 午前中業者が換気扇掃除。

 外科の担当医から長女に電話。

「経過が良好なので退院可」。「24日に迎えに行く」というと、その日に自分から説明する、という。10時予約。
「とてもいい患者だが、横になっている時間が長い。もっと歩行などした方が良い。」と言ったという。第一連絡者は自分にしたのだが、長女との会話から医療従事者の知識を感じたのだろう。高齢者より長女にコンタクトするのがベターと考えたのだろう。ちょっと違和感があったが、考えてみればもっともだ。それだけ自分も年を取ったのだ。医師という職業から見れば、すぐに分かったに違いない。

 

12/23(水)

 放送人の会。総務委員会。年内の作業終了。

 夕方の定時電話できず。
年賀状出す。

 

12/24(木)

 妻退院。

 長女と9時半病院着。しばらく待機。

看護師さんが荷物を運んでくれる。割ととしっかり歩いて出てくる。ホッとする。

医師の説明。とてもいい患者さんだけど、看護師さんに頼らないでもっと体を動かした方が良かったと言われる。帰宅後の第一課題。入浴も許可。

 会計などすませて昼過ぎ帰宅。

 久しぶりに二人で簡単な夕食。
長女がまた夕方来てくれて妻を風呂に入れてくれた。助かる。

 次女からも電話とLINE。
妻は二階の寝室に自力で上がる。

 

12/25(金)

 夜中、妻が頻繁にトイレに立つ。ちょっと心配。

 本人に声をかけると、「大丈夫だよ」という。

 朝は、一人で階段を歩いて降りた。

 

12/26(土)

 ほぼ日常に復帰した感じがする。
夕食時などの調理は手を貸す。

 

12/27(日)

 長女と正月用食品などスーパーで買い物。

 

12/28(月)

 この数年、年末の大掃除をやらなくなった。
気になるところをぼちぼち。
自費出版の見本本届く。校正漏れに気づくが如何ともし難し。

 

12/29(火)

 長女次女の夫たちと恒例の年末ゴルフ。太平洋クラブ市原。
往復とも順調。年末に出かける人が減っている。

12/30(水)

 床の間、玄関廻り、庭の枯れ葉、など少し片付け。
お飾りと干支の置物を出す。

 

12/31(水)

 デスク回りの片付けとレシート、メモ類処分。

 夜、長女宅で次女一家も一緒に年越し夕食。

 妻の実家から届いた鮪、長女の夫が用意した蟹など。年越し蕎麦。

 

2021.1/1(金)

 元旦。

 妻が家で正月を迎えられて良かった。

 

1/2(土)

 お節と雑煮。

 妻の箸が特に進むということはないが、食べやすいものをゆっくり食べている。 

 それでいいのだろう。穏やかに過ごしてほしい。 

自分は、自室で駅伝とラグビーをテレビ観戦。少し飲み過ぎ、というより弱くなった。 

 

1/3(日)

 お重のお節は食べ終わった。適量。長女次女が三段のお重に詰めてれた。

 正月終了。

 

1/4(月)

 通常食に戻る。

 トースト、スープなど。

 昼は次女が崎陽軒の焼売弁当など調達。

 政府は緊急事態宣言など検討という。首相会見は内容も語り口も全く不明瞭。

 

1/5(火)

 

1/6(水)

 穏やかに日常が過ぎていく。

 

1/7(水)

 妻、市民病院外科担当医の診察。

 術後の状態は正常。手術による患部摘出は問題なし。転移も見られない。

症状はⅢbという。全く再発リスクがないわけではないが、レベルは低い。

再発防止のために抗癌剤投与もありうるが、高齢者にとって副作用の負担は小さくない。

どうしますか?という。

次回の診察までに本人、家族の考えを決めてください、という。

 

1/8(金)

 あさ、昨日の医師の話について妻と会話。
・ 手術が上手くいったということをまずは良しとしよう。
・ 再発のリスクはゼロではないが、体の負担が大きい(可能性のある)抗癌剤は避けたい。

・  (年齢相応に)体の自然に任せたい。

・  万一再発という場合は、その時ベストと思う方法で頑張ろう。

 ということにする。

 長女来て改めて会話。了解。納得。

 

 放送人の会 事務所開き。新年都心へ初外出。
夕方、テレビマンユニオンで今野氏打合せ。
コロナ状況での来年度運営体制、など。
終って、スペインバーで1時間ほどワイン。客誰もなし。
今野氏に自費出版本の話をして、「完成後に校正漏れを発見して悔しい」と言ったら、「そんなのいくらでもあるよ」と言われる。少しホッとするような気もするが、悔しいものは悔しい。

 

1/9(土)
午後、浴室のリフォームで業者と打合せ。

 

1/10(日)

 妻は、退院後、初めて長女と一緒にスーパーに出かけた。人も多いだろうし、足元は大丈夫かと心配したが、無事帰宅。

夕食は、水炊き。

歯も弱っているし、鶏肉は大丈夫かと思ったら食が進んで安心。

 

1/11(月)

 長女宅で昼食。

 

1/14(木)
自分の定期検診。バスで8停留所ほど。気持ちが良いので歩く。
早く診察が終わったので、帰りも別コースで歩く。
6.2km.往き35分 帰り40分。10年前に比べて5分ほどかかっている。同じリズムで歩いているつもりだが、ま、仕方がない。

 午後、風呂場のリフォーム工事担当者が来て打合せ。

 自費出版本の完成見本届く。装幀凄く良い。

1/15(金)

 雨模様。寒い。
本の進呈リスト宛名。レターなど印刷。

 

1/16(土)

 一転して暖かい。晴れ。

洗濯、掃除、など。

妻もリビングに掃除機など。

 

1/19(火)

 赤坂、マッサージ。
寝違えたのだろう首筋の違和感が続いている。11月頃から。
重点的に治療。
このマッサージ師にはかれこれ15年は世話になっている。
昼はグラナータ。ニンニクと唐辛子のアーリオオーリオ。

 

1/20(水)
放送人の会事務局。
本贈呈配布用200冊届く。
宛名ラベル、手紙折り込み、など。深尾、須斉の2人助っ人。ありがたい。

 理事会員関係は作業終了。個人分は月曜。

 

1/21(木)

 妻、検診。長女同行。
経過良好。抗癌剤の投与はしないという意向を伝えたところ、了解との由。

 

1/22(金)

 長女宅で妻と一緒に昼食。

 

1/23(土)
本の配送リスト追加、など。

 

1/24(日)
雪予報だが一日氷雨。
冷える。

 

1/25(月)

 事務局で残りの贈呈分発送作業。ほぼ終了。

 通読した深尾君が記述ミスと校訂漏れを指摘。

 その通り。
少し回復していた気分がまた落ち込む。
集中力の欠如。歳だ!!明らかに。

 

1/26(火)

 贈呈作業のフォロー。
FBにアップ。

 告知と訂正と。

 夕食に焼うどん作ってみた。なかなか良い。

 

1/27(水)

 事務局 経理打合せ 町並さんに本贈呈。

委員長会議。

いつもなら、終わって一献というところだが、この状況ではそのまま解散。

 

1/28(木) 

今日から浴室リフォーム。初日は旧浴室解体。

午後、小石川012茶話会

 オリンピックについて オリンピックと政治、オリンピックとビジネス

 ナショナリズムについて結構論な発言があって良かった。

「穏健なナショナリズム」というのは概ねの志向だろうが、イズムというのは穏健を超える

潜在性ないしは本質を持つから難問なのだと思う。

 

1/29(金) 

放送人グランプリ「下馬評座談会」

メディア状況について「学術会議」問題の対応など。いろいろ意見あり。総理会見につい

ても。

「三島VS東大全共闘」を強く推薦する。

 

1/30(土) 

ユニット作業。

作業中に元の窓枠の再利用の予定が微妙に合わず。新ユニットのモノを使用することに

なり、作業難渋。終了が22時。

作業車がエンスト。23時近く帰った。

1/31(日)

房関係など作業順調。

 久しぶりに入浴。気持ち良かった。

 

2/1(月) 

毎月月初めに妻は血圧、体重の測定。

大きな変化なし。

次女来る。久しぶりに四人で昼食。懐かしい会話と空気。

 いいものだ。

 作業はクロス張替え終了。完了。綺麗になった。

 キレイになった風呂で手足伸ばす。

 浴室・脱衣所の暖房はありがたい。浴室に手すりを増やして安全確保。

この4日間、疲れた。

風呂場の暖房器具をONにすると他の暖房聴く家の運転状況でブレーカーが落

ちることが判明。要注意。

 

2/2(火)

朝、長女が来て豆撒き。

 この数年の慣習。

 布団や床に落ちた豆を見ると無子供の頃を思い出す。

 畳の上に落ちた豆を、夜布団に入ってから拾って音を立てずに食べるひそかな楽しみ。

 

2/3(水)

 TBS顧問室。 大川氏。

放送人の会。

 6日の理事会を書面開催にした事務処理対応。

 帰りに深尾、須斉三人でちょっと歓談。

 

2/4(木)

 定期検診。

夜の降圧剤を強いものにした結果の診断。効果あり。

片道徒歩。

 

2/5(金)

 本のリアクション整理。

 

2/6,7,8,9.
  特に何もせず。
 洗濯掃除など。
 クックドゥーの麻婆茄子作ってみる。

 

2/10(水)

 TBS顧問室。鴨下信一氏訃報。中澤氏来る。

事務局。書面理事会議事録関係。来季運営体制、など。

 夕方、市川君と懇談。砂場。

 

2/11(木)

 連国記念の日って何だ。

 

日記中断

 

3/8(月)

 妻、肺炎で町田市民病院に入院。

気持ちに衝撃がある。今度は肺炎か・・・。 

 

妻が大腸癌の摘出手術を受け、幸い術後の経過も順調で自宅で正月を迎えることが出来て、少しずつ体調も回復して日常が戻ってきたような感じがしてきたところだった。コロナの不安も日常化してきたような感じになっていた。数日前に、薬剤師の長女が「お母さんの呼吸が辛そう」という。今日、かかりつけ医に診てもらうと肺炎だろうという。医師の判断で、そのまま町田市民病院に入院を指示された。酸素ボンベを借りて長女が同行、私が当座のものを持って病院で合流。
 そこから三週間、再び入院生活だ。新型コロナではないと診断された。
日々の状況は暮と同じだ。コロナ状況で見舞いは不可。朝昼晩の電話とスタッフステーションへの届け物、医師の診断報告の時だけが病状の手掛かり情報。

4/2. 退院

 妻、帰宅。足元が不安。

新しい生活習慣が始まった。
随時酸素測定をするが、少しのことで90を割ってしまう。取りあえず、スポーツ用の酸素補給ボンベを用意するが何とも頼りなく落ち着かない。結局かかりつけ医に相談して、介護用の酸素生成器をレンタルする。市の介護担当に相談すると「要介護3」と判定。
高齢者として特段異常なことではない。本人は内心どうかはともかく落ち着いて受け入れている。酸素を常時補給されるということは、火に近づくことが厳禁である。だから、調理はさせられない。幸いというべきか、去年の暮と今年の春と妻不在の日常を送ったので、自分にとっても「事件だ!」という不安やショックもない。
というわけで、以後三食(昼食はパン屋で調達するなどだが)の支度は私の仕事になった。洗濯は数年前から物干し作業が妻には負担になってきたので私の担当だった。トイレ掃除、ゴミ分別なども自分でやっていた。だから、家事労働そのものが辛いとか不満だとかは全くない。自分のことは自分で、という習慣は高校生の時からの下宿生活で身についている。
 では、何の問題もないのかといえば、家にいる時間は当然長くなるのだが、家事の間の 気持ちの切り替えが上手くいかない。ここからは自分の時間で集中して何か(本を読む、パソコン作業をする、など)をするモードに切り替わらない。メリハリがないままただ時間が過ぎて行く。そのうちまた何かの家事が待っている。特に、コロナ禍と言われる状況で外出もままならないので映画や展覧会の鑑賞、外食や買い物で紛らわすこともできない。それが辛い。欝々と日が過ぎる。このまま80歳が過ぎて行く。
 長女は歩いて100歩の距離にいるので毎日寄ってくれる。入浴や着替えなどいろいろ気配りをしてくれて助かる。次女は車で15分なので週に一度は一緒に昼食を楽しんでくれる。私は凄く恵まれている、と思う。

この間、妻の居室を二階から一階に移す。日常の生活は一階だけで全て済ませられる態勢にした。風呂、トイレ、エアコン、玄関の外階段のリフト取り付け、など、生活補助効果のある工事を進めて居住環境を整備する。

 こうして、短い春が過ぎ、梅雨もそして暑さと長雨の夏も逝き、秋になった。
 直ぐに冬が来るだろう。


9/9.(木)

今日、学生時代以来友人の訃報。
また一人いなくなってしまった。
いい飲み友達だった。彼のおかげで京都散策の楽しみを知った。

京都に行きたい、と激しく思う。

 

妻の入院とコロナの後

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日記 妻の入院のことなど

2020.11.19. (木)

妻が大腸癌だという。妻は私より四歳年長だ。

今月に入って集中的に検査を受けた。胃の内視鏡とCT、大腸内視鏡、など(11/4,19)。今日、内科担当医の診断。結果について、直接聞くよりも家族に伝えてほしいというので、長女と一緒に聞くことにした。長女は薬剤師で医事の知識や患者対応は職業的に心得ている。私は当然聞くべきだ。

その結果が大腸癌で、外科的診断を受けることになった。体力的に手術が可能か、など。

 意思から診断を聴いた日は、妻には「外科の診察を受けることになった」とだけ伝えた。長女はやはり少し動揺していたようだ。その日のうちに次女と話したようで、「お父さん、明日お母さんに一緒には話そう」という。検査の時から最悪ということもありうる、と思っていても最悪とはどういうことかについて自分でもちゃんと分かっていたわけではないということを思い返している。多分、様々なことが変わるのだ、と思う。

 

11.20.(金)

 朝、長女が来たので検査結果について一緒に妻に話す。長女は歩いて100歩の所にいる。

「大腸に腫瘍があって、小さな癌だな。"本人は食欲がないとか気分が悪いとか自覚症状はないようです"と先生に言ったけど、そうならないうちに、手術をするかどうかを外科の先生に診てもらうのが良いでしょう、ということなんだって。」

妻は頷いて「分かった」という。驚きや落ち込みはない。いたって普通の反応だ。時間が経つとどうなるだろうという不安はあるが、取り敢えず最初のハードルは超えた。少し緊張が解けたが、これからどうなる?という思いは当然続く。

 

11.24.(火)
 予定していた12月の京都旅行をキャンセルする。京都は逃げない、と思いつつ、ではまた行ける日が来るかどうか、とも思う。

 

11.25.(水)

妻、かかりつけ医でインフルエンザの予防接種。長女付き添い。

なんとなく反応が弱気。戻ってきて「どうしたのだろう?」というと「やっぱり気になってるんだよ。そりゃショックだと思うよ」という。

そっか・・・。

これから万事変わる。今まで通りとはいかない。

 

11/26(木)

町田市民病院外科医の診断と検査。

明快な説明の後で「早く手術治療して良くなりましょう」という。安心と期待が伝わてっくくる対応だ。「いい先生だね」と長女。そう思う。

11時半の検査終了までひたすら待つ。

最後にもう一度外科医の説明。「良いご家族で良かったですね」と言われる。

長い半日だった。

 

11/27(金)

 入院、手術までの段取りなど長女と確認。

 

11/30(月)

 次女来る。毎月曜日は、仕事が休みなので、ランチを作りに来てくれる。
百合丘から車で15分。今日は、かき揚げうどんに生ハムと蕪のサラダ。
妻は、器具を使って呼吸器のトレーニング始める。

手術のために肺機能の強化が必要だという。

 

12/3(木)

 町田市民病院
入院前に口腔外科の検査。

 

12/4(金)

 自費出版関係で中央公論事業出版打合せ。
校了 装幀最終打合せ 若干の修正
上りは年明けになるという。

 

12/7(月)

 入院前PCR検査。次女の車で送迎。

 妻は「スキーシーズンが来るね。行ってくれば。」という。

12/8(火)

 心エコー検査。長女夫婦が同行。
留守番の間に庭整理。

 

12/10(水)

 昨日から長女が入院の支度をアレコレ。

 本人は普通にしているように見えるが、「やっぱり不安がってるよ」という。

 

12/11(金)

 9時半病院着。
麻酔医の説明など受けてから入院手続き。
コロナ対応で、付き添いは入院棟のスタッフステーションまで。

 「元気出すんだよ」と言って送る。
検査以来の緊張が少し解けたような、不安感は増したような不思議な感じ。
帰宅して、妻が不在で過ごすのはいつ以来か考えてみたが思い出せず。

 夕方、電話する。個室なので電話の制約はない。

 

12/12(土)

 朝7時にTEL。

 声は元気だ。よく眠れたという。

 

12/13(日)

 長女とスーパーに買い物。まとめ買い。
朝、昼電話。

 

12/14(月)

 病院。本人同席で術前説明。
分かり易く、それなりに気配りのある説明だと思う。

 

12/15(火)

 手術当日。

 朝、電話。今日は本番だね、というと「ウン」と落ち着いて返事。

 本人は不安なんだろうと思う。

 昼前に長女と病院着。

 病室近くのスタッフステーションで顔を合わせて、そのまま手術室まで送る。

 「先生にお任せして心配するんじゃないよ」という。

 ひたすら待つ。4時間。

 途中で、病院の介護担当者などの説明。要介護か・・・。

手術終る。

担当医師の説明。患部の切除は予定通り。他の部位への転移は見られない。「落ち着いたら歩行のリハビリなどしましょう」という。
切除部分を見せられたが、思ったより大きくてショックだった。

それからさらに1時間。病室に戻る前に本人と顔を合わせる。意識が戻っていて、反応がある。
長女と二人で声をかける。
ホッとすると同時に、これからが長いのだろうとも思う。しかし、その実感がない。
帰宅。長女宅で夕食。

(手術を待つ間、西の空はどんどん変化していった)

 

12/16(水)

 電話をしていいものかどうか、負担も大きいだろうからと思い今日はせず。

 午後、放送人の会。 

 

12/17(木)

 朝、電話。

「モシモシ・・・」の声が聞こえるまでの時間が長かった。

 声を聴くとホッとする。まだ声に力がない。

 

12/18(金)

 朝7時半、夕方5時半に定時電話。

 午後、赤坂で定期のマッサージ。首筋と腰・脇腹に負担がかかったのだろう、痛みがある。

 

12/19(土)

 一人で自宅で過ごすと、時間というものはこのように過ぎていくのかと思う。

 

12/20(日)

 毎日定時電話。声に少しずつ力が入ってきた。

 明るく元気な感じが戻ってきたように思える。

 

12/21(月)

 次女来る。今日は牡蠣とほーれん草のバスタ。美味しい。
ついでに、2Fの洗面台を掃除してくくれた。

 病院から電話あり。明日血液検査。結果が良ければ23日以後退院できます、という。血液検査の結果は明日中に電話するとのこと。
23日は都合が良くないので24日でどうか、明日の連絡の際に知らせることにする。

 心づもりより早く退院になりそう。何よりも本人が嬉しいだろう。

夕方の電話で「退院が早まるかもしれない」というと嬉しそうだった。

 

12/22(火)

 午前中業者が換気扇掃除。

 外科の担当医から長女に電話。

「経過が良好なので退院可」。「24日に迎えに行く」というと、その日に自分から説明する、という。10時予約。
「とてもいい患者だが、横になっている時間が長い。もっと歩行などした方が良い。」と言ったという。第一連絡者は自分にしたのだが、長女との会話から医療従事者の知識を感じたのだろう。高齢者より長女にコンタクトするのがベターと考えたのだろう。ちょっと違和感があったが、考えてみればもっともだ。それだけ自分も年を取ったのだ。医師という職業から見れば、すぐに分かったに違いない。

 

12/23(水)

 放送人の会。総務委員会。年内の作業終了。

 夕方の定時電話できず。
年賀状出す。

 

12/24(木)

 妻退院。

 長女と9時半病院着。しばらく待機。

看護師さんが荷物を運んでくれる。割ととしっかり歩いて出てくる。ホッとする。

医師の説明。とてもいい患者さんだけど、看護師さんに頼らないでもっと体を動かした方が良かったと言われる。帰宅後の第一課題。入浴も許可。

 会計などすませて昼過ぎ帰宅。

 久しぶりに二人で簡単な夕食。
長女がまた夕方来てくれて妻を風呂に入れてくれた。助かる。

 次女からも電話とLINE。
妻は二階の寝室に自力で上がる。

 

12/25(金)

 夜中、妻が頻繁にトイレに立つ。ちょっと心配。

 本人に声をかけると、「大丈夫だよ」という。

 朝は、一人で階段を歩いて降りた。

 

12/26(土)

 ほぼ日常に復帰した感じがする。
夕食時などの調理は手を貸す。

 

12/27(日)

 長女と正月用食品などスーパーで買い物。

 

12/28(月)

 この数年、年末の大掃除をやらなくなった。
気になるところをぼちぼち。
自費出版の見本本届く。校正漏れに気づくが如何ともし難し。

 

12/29(火)

 長女次女の夫たちと恒例の年末ゴルフ。太平洋クラブ市原。
往復とも順調。年末に出かける人が減っている。

12/30(水)

 床の間、玄関廻り、庭の枯れ葉、など少し片付け。
お飾りと干支の置物を出す。

 

12/31(水)

 デスク回りの片付けとレシート、メモ類処分。

 夜、長女宅で次女一家も一緒に年越し夕食。

 妻の実家から届いた鮪、長女の夫が用意した蟹など。年越し蕎麦。

 

2021.1/1(金)

 元旦。

 妻が家で正月を迎えられて良かった。

 

1/2(土)

 お節と雑煮。

 妻の箸が特に進むということはないが、食べやすいものをゆっくり食べている。 

 それでいいのだろう。穏やかに過ごしてほしい。 

自分は、自室で駅伝とラグビーをテレビ観戦。少し飲み過ぎ、というより弱くなった。 

 

1/3(日)

 お重のお節は食べ終わった。適量。長女次女が三段のお重に詰めてれた。

 正月終了。

 

1/4(月)

 通常食に戻る。

 トースト、スープなど。

 昼は次女が崎陽軒の焼売弁当など調達。

 政府は緊急事態宣言など検討という。首相会見は内容も語り口も全く不明瞭。

 

1/5(火)

 

1/6(水)

 穏やかに日常が過ぎていく。

 

1/7(水)

 妻、市民病院外科担当医の診察。

 術後の状態は正常。手術による患部摘出は問題なし。転移も見られない。

症状はⅢbという。全く再発リスクがないわけではないが、レベルは低い。

再発防止のために抗癌剤投与もありうるが、高齢者にとって副作用の負担は小さくない。

どうしますか?という。

次回の診察までに本人、家族の考えを決めてください、という。

 

1/8(金)

 あさ、昨日の医師の話について妻と会話。
・ 手術が上手くいったということをまずは良しとしよう。
・ 再発のリスクはゼロではないが、体の負担が大きい(可能性のある)抗癌剤は避けたい。

・  (年齢相応に)体の自然に任せたい。

・  万一再発という場合は、その時ベストと思う方法で頑張ろう。

 ということにする。

 長女来て改めて会話。了解。納得。

 

 放送人の会 事務所開き。新年都心へ初外出。
夕方、テレビマンユニオンで今野氏打合せ。
コロナ状況での来年度運営体制、など。
終って、スペインバーで1時間ほどワイン。客誰もなし。
今野氏に自費出版本の話をして、「完成後に校正漏れを発見して悔しい」と言ったら、「そんなのいくらでもあるよ」と言われる。少しホッとするような気もするが、悔しいものは悔しい。

 

1/9(土)
午後、浴室のリフォームで業者と打合せ。

 

1/10(日)

 妻は、退院後、初めて長女と一緒にスーパーに出かけた。人も多いだろうし、足元は大丈夫かと心配したが、無事帰宅。

夕食は、水炊き。

歯も弱っているし、鶏肉は大丈夫かと思ったら食が進んで安心。

 

1/11(月)

 長女宅で昼食。

 

1/14(木)
自分の定期検診。バスで8停留所ほど。気持ちが良いので歩く。
早く診察が終わったので、帰りも別コースで歩く。
6.2km.往き35分 帰り40分。10年前に比べて5分ほどかかっている。同じリズムで歩いているつもりだが、ま、仕方がない。

 午後、風呂場のリフォーム工事担当者が来て打合せ。

 自費出版本の完成見本届く。装幀凄く良い。

1/15(金)

 雨模様。寒い。
本の進呈リスト宛名。レターなど印刷。

 

1/16(土)

 一転して暖かい。晴れ。

洗濯、掃除、など。

妻もリビングに掃除機など。

 

1/19(火)

 赤坂、マッサージ。
寝違えたのだろう首筋の違和感が続いている。11月頃から。
重点的に治療。
このマッサージ師にはかれこれ15年は世話になっている。
昼はグラナータ。ニンニクと唐辛子のアーリオオーリオ。

 

1/20(水)
放送人の会事務局。
本贈呈配布用200冊届く。
宛名ラベル、手紙折り込み、など。深尾、須斉の2人助っ人。ありがたい。

 理事会員関係は作業終了。個人分は月曜。

 

1/21(木)

 妻、検診。長女同行。
経過良好。抗癌剤の投与はしないという意向を伝えたところ、了解との由。

 

1/22(金)

 長女宅で妻と一緒に昼食。

 

1/23(土)
本の配送リスト追加、など。

 

1/24(日)
雪予報だが一日氷雨。
冷える。

 

1/25(月)

 事務局で残りの贈呈分発送作業。ほぼ終了。

 通読した深尾君が記述ミスと校訂漏れを指摘。

 その通り。
少し回復していた気分がまた落ち込む。
集中力の欠如。歳だ!!明らかに。

 

1/26(火)

 贈呈作業のフォロー。
FBにアップ。

 告知と訂正と。

 夕食に焼うどん作ってみた。なかなか良い。

 

1/27(水)

 事務局 経理打合せ 町並さんに本贈呈。

委員長会議。

いつもなら、終わって一献というところだが、この状況ではそのまま解散。

 

1/28(木) 

今日から浴室リフォーム。初日は旧浴室解体。

午後、小石川012茶話会

 オリンピックについて オリンピックと政治、オリンピックとビジネス

 ナショナリズムについて結構論な発言があって良かった。

「穏健なナショナリズム」というのは概ねの志向だろうが、イズムというのは穏健を超える

潜在性ないしは本質を持つから難問なのだと思う。

 

1/29(金) 

放送人グランプリ「下馬評座談会」

メディア状況について「学術会議」問題の対応など。いろいろ意見あり。総理会見につい

ても。

「三島VS東大全共闘」を強く推薦する。

 

1/30(土) 

ユニット作業。

作業中に元の窓枠の再利用の予定が微妙に合わず。新ユニットのモノを使用することに

なり、作業難渋。終了が22時。

作業車がエンスト。23時近く帰った。

1/31(日)

房関係など作業順調。

 久しぶりに入浴。気持ち良かった。

 

2/1(月) 

毎月月初めに妻は血圧、体重の測定。

大きな変化なし。

次女来る。久しぶりに四人で昼食。懐かしい会話と空気。

 いいものだ。

 作業はクロス張替え終了。完了。綺麗になった。

 キレイになった風呂で手足伸ばす。

 浴室・脱衣所の暖房はありがたい。浴室に手すりを増やして安全確保。

この4日間、疲れた。

風呂場の暖房器具をONにすると他の暖房聴く家の運転状況でブレーカーが落

ちることが判明。要注意。

 

2/2(火)

朝、長女が来て豆撒き。

 この数年の慣習。

 布団や床に落ちた豆を見ると無子供の頃を思い出す。

 畳の上に落ちた豆を、夜布団に入ってから拾って音を立てずに食べるひそかな楽しみ。

 

2/3(水)

 TBS顧問室。 大川氏。

放送人の会。

 6日の理事会を書面開催にした事務処理対応。

 帰りに深尾、須斉三人でちょっと歓談。

 

2/4(木)

 定期検診。

夜の降圧剤を強いものにした結果の診断。効果あり。

片道徒歩。

 

2/5(金)

 本のリアクション整理。

 

2/6,7,8,9.
  特に何もせず。
 洗濯掃除など。
 クックドゥーの麻婆茄子作ってみる。

 

2/10(水)

 TBS顧問室。鴨下信一氏訃報。中澤氏来る。

事務局。書面理事会議事録関係。来季運営体制、など。

 夕方、市川君と懇談。砂場。

 

2/11(木)

 連国記念の日って何だ。

 

日記中断

 

3/8(月)

 妻、肺炎で町田市民病院に入院。

気持ちに衝撃がある。今度は肺炎か・・・。 

 

妻が大腸癌の摘出手術を受け、幸い術後の経過も順調で自宅で正月を迎えることが出来て、少しずつ体調も回復して日常が戻ってきたような感じがしてきたところだった。コロナの不安も日常化してきたような感じになっていた。数日前に、薬剤師の長女が「お母さんの呼吸が辛そう」という。今日、かかりつけ医に診てもらうと肺炎だろうという。医師の判断で、そのまま町田市民病院に入院を指示された。酸素ボンベを借りて長女が同行、私が当座のものを持って病院で合流。
 そこから三週間、再び入院生活だ。新型コロナではないと診断された。
日々の状況は暮と同じだ。コロナ状況で見舞いは不可。朝昼晩の電話とスタッフステーションへの届け物、医師の診断報告の時だけが病状の手掛かり情報。

4/2. 退院

 妻、帰宅。足元が不安。

新しい生活習慣が始まった。
随時酸素測定をするが、少しのことで90を割ってしまう。取りあえず、スポーツ用の酸素補給ボンベを用意するが何とも頼りなく落ち着かない。結局かかりつけ医に相談して、介護用の酸素生成器をレンタルする。市の介護担当に相談すると「要介護3」と判定。
高齢者として特段異常なことではない。本人は内心どうかはともかく落ち着いて受け入れている。酸素を常時補給されるということは、火に近づくことが厳禁である。だから、調理はさせられない。幸いというべきか、去年の暮と今年の春と妻不在の日常を送ったので、自分にとっても「事件だ!」という不安やショックもない。
というわけで、以後三食(昼食はパン屋で調達するなどだが)の支度は私の仕事になった。洗濯は数年前から物干し作業が妻には負担になってきたので私の担当だった。トイレ掃除、ゴミ分別なども自分でやっていた。だから、家事労働そのものが辛いとか不満だとかは全くない。自分のことは自分で、という習慣は高校生の時からの下宿生活で身についている。
 では、何の問題もないのかといえば、家にいる時間は当然長くなるのだが、家事の間の 気持ちの切り替えが上手くいかない。ここからは自分の時間で集中して何か(本を読む、パソコン作業をする、など)をするモードに切り替わらない。メリハリがないままただ時間が過ぎて行く。そのうちまた何かの家事が待っている。特に、コロナ禍と言われる状況で外出もままならないので映画や展覧会の鑑賞、外食や買い物で紛らわすこともできない。それが辛い。欝々と日が過ぎる。このまま80歳が過ぎて行く。
 長女は歩いて100歩の距離にいるので毎日寄ってくれる。入浴や着替えなどいろいろ気配りをしてくれて助かる。次女は車で15分なので週に一度は一緒に昼食を楽しんでくれる。私は凄く恵まれている、と思う。

この間、妻の居室を二階から一階に移す。日常の生活は一階だけで全て済ませられる態勢にした。風呂、トイレ、エアコン、玄関の外階段のリフト取り付け、など、生活補助効果のある工事を進めて居住環境を整備する。

 こうして、短い春が過ぎ、梅雨もそして暑さと長雨の夏も逝き、秋になった。
 直ぐに冬が来るだろう。


9/9.(木)

今日、学生時代以来友人の訃報。
また一人いなくなってしまった。
いい飲み友達だった。彼のおかげで京都散策の楽しみを知った。

京都に行きたい、と激しく思う。

 

前川日記 2020.

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2020.6.1.()

日記を再開しよう。

何度目かの再開だ。

という理由ではなく、コロナ状況の一つとして小松左京の「復活の日」を読む。

出来栄えでは「日本アパッチ族」や「日本沈没」に及ばない。

 

6/2.()

久しぶりにゴルフ練習場。

空いている。

先日姪急逝。妻の実家の焼津で葬儀だが、この状況では出かけるわけにもいかない。

未婚のままだった。可哀想。

葬儀花手配。

 

6/3.()

事務局。

 

6/4.()

床屋。でかけてからマスクを忘れたのに気が付いた。

店でそういと、「では、どうぞ」と言って出してくれた。

有難く使わせてもらう。

IMG_1442z.jpg

帰宅して次女の手製マスクで写真。

 

天安門土建から40年。

 

6/5.()

赤坂でマッサージ。二ヶ月ぶりか。

終って「砂場」。

帰りに血圧計買う。一昨日デジタル表示が不調。問い合わせると基本的な寿命は5年だという。もう10年は使っている。買い替え。

 

6/6.()

庭のバラの枝を切る。花は散り始めた。

今年は、チャーリップも杜若も咲かなかった。寿命なのだろうか。

夜激しく雷雨。落雷。

 

6/7.()

欝々と日が過ぎる。コロナ禍だ。

 

6/7.()

 

6/8.()

 

6/9.()

ゴルフ。御殿場。

今年に入って初めてだ。

晴れて蒸さず。風心地よし。

久しぶりにいい疲れだ。

 

6/10.()

事務局。

 

6/11.()

高校のメンバーでON LINE会合(012E「茶話会」・・・新制高校12E)

なかなかうまく入れないメンバーがいて若干混乱。

ま、それもいいか。

 

6/12.()

IMG_1579z.jpg

渋谷東急本店。

空いている。・・・が、それでも開店前に50人程並んでいる。

デパートで並んで待つというのはどういうことなんだろうと思う。

赤坂で銀行立寄り。

マッサージ。

終ってグラナータ。これも久人ぶり。

 

写真は何かと話題の渋谷スクランブル交差点。

 

6/13.()

次回の「茶話会」のための資料PPT作成。

パワポは久しぶり。手順を思い出すのに少し手間。

 

6/14()

スポーツ名勝負のテレビ再放送を見る。

面白い。

 

6/15.()

[6.15.]だ。

1960年から1年後の写真。

学生運動は分裂衰退の時期だった。

誰が撮った写真だろう。

 

6/16()

79歳。

歯科。

 

6/17()

「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」観る。102609611_3045970208843670_99452875696488936_n[1]z.jpg

東宝シネマズ日比谷シャンテ。

凄く面白かった。

 

事務局

 

6/18.()

昨日の映画についてFBに投稿。

 

これは「テレビ的」仕事である。

「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」

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  1. 圧倒的に面白かった。

  2. その理由
    ・私が、ほぼ同時代人だからである。
     (1960年大学入学 1964年TBS入社 1968年TBS闘争)
    ・生身の三島の魅力。言葉も立ち居振る舞いも。
     三島作品はほとんどといって良いだろう、読んでいない。読みたいと思わない。
     しかし、「などてすめらぎは人間(ひと)となりたまいし」の一言を知った
     時、それはやはり衝撃的だった(もちろん私は天皇主義者ではない)。
     ⇒私の中で北一輝への関心どこかで通底するだろう。
    ・全共闘は、日本の左翼として初めて「身体」的ということを提起した。
     そのことが知性との関係で語られている。

  3. 全共闘運動は二つのピーク(頂)を持つ。
    一つは東大であり、もう一つは日大である。
    (京大パルチザンについては詳しくは知らない。)

  4. 東大全共闘の圧倒的な知力=観念性・抽象性と身体性(反知性)がブレンドされないまま混沌と提示されているのがよく分る。そこが面白い。

  5. その意味で、三島と全共闘は既に共闘関係にあった。天皇や情熱の問題ではない。

  6. 三島のあるいはこの議論が残した「言霊」はいまも残されたままである。

  7. 全共闘OBたちはその言霊を背負っている。
    この映画を見終わって、私たちもそれを背負わされている。

  8. 芥正彦の存在感は凄い。現在もなおそれを持続している。目力(メヂカラ)に感心。

  9. 「解放区」は空間としてではなく時間として存在するべきだ、とは至言である。
    「一つしかない時間をもってくるやつが一番危険なんだよ。歴史だけじゃなくて、権力という時間。自分の正しさ以外に認めないだろ。」(芥)

  10. この映画は、映画として製作され映画館で上映されているが、極めてテレビ的である。
    ・記録媒体はフィルムだが、むしろ中継というべきだ。
    ・当時の技術的条件では、中継車と大型カメラを持ち込みケーブルを敷設するは物理的
     に難しい。
    ・取材交渉としても現実的ではなかっただろう。
    ・テーマに沿って大きく編集されていて、また当事者・関係者のインタビューや状況映
     像は挿入されているが、表現手法としてのモンタージュは一切ない。
    ・討論の時間と空間をそのまま提示しようとしている。

  11. テレビ局の映像素材アーカイブの価値が見直されて良い。

  12. これは、すぐれてテレビ的仕事である。このことを極めて高く評価する。

書き忘れたことが二つある。

一つは、東大全共闘議長山本義隆のこと。将来のノーベル物理学賞を嘱望された若き学徒は、東大全共闘議長をきっちり引き受け大学を去り、わびぅ教師として生きた。そして、すぐれた科学技術史を著し、福島原発事故について透徹した知見を提示した。知的であることの先の「知性の叛乱」(山本の著書)を生きた。その高い倫理性は、東大闘争のもう一つの到達点だと私は思う。

 

もう一つは、テレビジョンの<時間>についてである。

 『「テレビ――お前はただの現在に過ぎない」とは、即ち、テレビの同時性(即時性)に対する「権力」及び「芸術」からの否定的非難の言葉として、ぼくらに発せられているということなのだ。
 「時間」をすべて自ら政治的に再編したあとで、それを「歴史」として呈示する権利を有するのが「権力」だとすれば、そのものの「現在」が(を...引用者)、as it is(あるがまま)に呈示しようとするテレビの存在は、権力にとって許しがたいだろう。「テレビ、お前はただの<現在>にすぎない。お前は安定性を欠き、公平を欠き、真実を欠く」――それが体制の警告だ。テレビが堕落するのは、安定、公平などを自ら求めるときだ。
 「時間」をすべて自ら選択し内面化したあとで、それを「作品」として呈示することを「芸術」とするならば、時間を追うことによってのみ、独自の表現をもたらそうとするテレビは、芸術の第一義的本質を欠いている。非選択的、非永遠的、非作品的......etc。それは、いわゆる「芸術」からみれば、「テレビ、お前はただの<現在>にすぎない」となるだろう。』
「お前はただの現在にすぎない テレビに何が可能か」(萩元晴彦 村木良彦 今野勉 田畑書店 1969 )より。
 東大闘争と同じ時代に示されたこの言葉は、テレビジョンの本質を突いた言葉として語られた。テレビジョンは何度もこの原点に立ち返らなければならない。

 

7/1()

「今日は何か予定があったはずだが、手元のスケジュール表にもカレンダにも何も書いてない。記憶違いだったのだと思って、家で資料整理などしていたら事務局から電話。

「今どこですか?」「家だけど・・・?」と言った途端に卒然と3時から

の打合せを思い出した。

「ゴメン、電話で出来る限りの話をするよ」と言って何とか乗り切ったが、これはまずい。

たまに、ダブルブッキングや記憶違いはあるものの、どこかで気が付いて何とかしてきたのに、今回ばかりは全く完敗だ。ス

マホにガラケーのスケジュールが移行していなかったということもある。直ぐにアップルサポートに電話してデータ移行。

肝に銘ずるというのはこういうことだ。

それにしても、この半月スマホ対応のためのエネルギーは結構なものだ。

 

7/2()

渋谷東急本店PAPAS経由で「駒方どぜう」渋谷店。高橋君と一献。

この店は、午後の時間も開いているので、昼にゆっくりするのに最適。8月の京都行きのことなど。彼の体調の問題で、諦めていたのだが復調し、旦那の管理に厳しいカミさんからもOKが出たという。

では、改めてどういう仕組み段取りにしようか後日相談。

 

7/3()

事務局。

月曜の失敗を陳謝。

 

7/4()

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久しぶりにTBSメディア総研立寄り。

セキネは相変わらず元気に見えるが、両親の世話で大変だろう。

察するしかないが、彼女の明るさに感心する。

TBSメディア総研社長を引き受けた時の最大のテーマ、「メディア総研のリニューアル」はセキネなしにはできなかった。

TBS人生の最後を気持ちよく追われたのも彼女によるところが大きい。

感謝。

夕方、市川君と「砂場」。

インテリジェンス変わらず。

 

7/5()

事務局立寄り。

夜、TCS(日中韓三国協力事務所)と会合。渡辺氏、田中氏と。

韓国PD連合からの情報があったのだろう、「日韓中テレビ制作者フォーラム」の今後について何かサポートできないかという提案。

「会」の在り方や、フォーラムの問題点など説明し意見交換。

外交辞令もあるだろうが(こちらもだが)、概ね丁寧な対応で誤解はないと思うが、先方内でどういう議論になるか不明。

 

7/6()

雨、曇天鬱続く。

洗濯内干し。鬱陶しい。

出版準備に専念。

データのコピー、整理、メモ作成など。

漸く全体が固まりつつある。

書いたものの選別が大変。

 

7/7()

昨日の作業の続き。

 

7/8()

庭の雑草が伸びている。

一月前に業者が綺麗にしてくれてサッパリしたのに、生命力というか季節なりにというのか、もう荒れ始めている。

 

7/8()

ヨガ。

「株式会社化する日本」読み終える。

鳩山友由紀夫という人の理想主義は貴重だ。しかし、政治のリアリズムがそれを許さなかった。

民主党政権をもう少し、あるいはこう一度やらせる辛抱強さが国民になければ二大政党など無理だ。

 

7/9()

ヨガ。

2週間が空いた。これ以上空けると、そこで終わりそうだ。

 

7/10()

事務局。

理事会打合せ。

「放送人の証言」出版関係で、東大丹羽研究室打合せ。

これまでの共同作業について、前任教授からの資料引継ぎの確認など。

この研究室は、NNNドキュメントのアーカイブ化やTBSのメディア研究講座などかなり面白いことをやっている。

おわって、深尾君と本郷三丁目で一献。

「雪男」という酒が美味い店だった。

 

7/11()

ゴルフ打ちっ放し。

出版準備。

書き散らしたものを読み返してみると、すでに今の状況から髄分ずれているものもあるが、でも色々書いているな・・・とも思う。

 

7/12()

寒い。

梅雨が長い。

 

7/13()

太平洋御殿場ウェスト。

長女、次女の夫たちと。

この季節のゴルフとしては暑くなく、雨も何とか降らずにラウンド。

 

7/14()

雨。

止む無く洗濯。

部屋干し。

 

7/15()
IMG_0007a.jpg映画<新聞記者>。新百合ヶ丘イオンシネマ。
「政治の幅は常に生活の幅より狭い。本来生活に支えられているところの政治が、にもかかわらず屡々、生活を支配していると人々から錯覚されるのは、それが黒い死をもたらす権力を持っているからにほかならない。」(埴谷雄高「幻視の中の政治」序詞)
「生活」を「職業/ジャーナリズム」と読み換えれば、そのまま映画「新聞記者」のテーマになるだろう。

そして、それは「錯覚」ではなく、それ自体が政治のリアリズムなのだ。
だから、私たちはラストシーンのカットアウトの瞬間、暗転したスクリーンから主人公たちを待ち受ける過酷な運命を読み取ることが出来る。
この映画が製作、上映されたことにほんの少しの希望を見出すということは、時代はそれほど悪いということだ。IMG_0026a.jpg

それにしても、この映画を2週間で撮り上げたとうのは驚きだ。
最近、観るべき映画を観ないで過ごすようになった。

敬愛する堀川とんこうさんが、2年程前だろうか、「80が近づくとリビドーが枯渇する」と言っていたことを思い出している。今回は、観るべき映画を観たと思う。もう少し螺子(ネジ)を巻こう。

 

前川日記2019.6.1.~10.日記復活

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3/21()

身体的疲れに一日身を任せる。

 

3/22()

事務局。

 

3/23()

高校時代の集会、スピーチ準備。「存在論的テレビ的」。もちろんこれは東浩紀氏の「存在論的郵便的」のタイトルだけ拝借したものだ。

漸くその気になる。

秋に予定している自費出版企画「My History」の作業と重なる。

 

3/24()

家事作業。

My History」。観念の図式化は、マァ得意とするところ。

これを語りとして文書化するのが大変。

AMAZONに発注していた本届く。

 

3/25()

自宅作業。

 

3/26()

駅前の銀行に所用。

終わって書店に立寄る。

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フト気になって手に取った本と、その連鎖反応で目についた本を買う。

本を買うのはビョーキみたいなものだ。

本は、モノとしての本でもある。

机の上には読みたいと思いつつ、そのまま積んである本が何冊も。どうしよう。

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「書を捨てよ、街に出よう」と言ったのは寺山修司だが、今は「街に出ずに書を読もう」という気分だ。

3/27()

事務局。

決算関係作業など。

終わって赤坂見附で一献。

 

 

3/28()

孫が高校進学の挨拶に来る。

さて、これからどうなるのか・・・期待と心配。

夕陽が凄い。

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3/29()

シーズン最後の戸隠行。

新宿駅は春休みのせいか混雑。

東京駅の寿司清で昼食。悪くない。

樅の木山荘は子供たちのグループと二家族のグループ。

 

3/30()

曇天。

バーンはザクザク雪が凍って難しい。視界悪し。

午後になると緩んできた。あまり頑張らずに引き上げる。

馴染みのバーンを一通り滑って、「またね」とご挨拶。

15日滑走、マ良いだろう。

夜、雨音。

 

3/31()

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朝、新雪が日に輝いて綺麗だ。

今日は滑らないと決めた。昨日ちゃんと挨拶したから未練はない。こういうシーズンの終わり方は悪くない。

板の手入れをして所定の場所に。靴もブーツケースに入れて棚に上げる。

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あゝ、終わった。

宅急便のパッキングをしてバスの時間までのんびりする。

早めに帰宅。

 

4/1()

片岡藍子さん一周忌。

夫君の和泉さん宅で昼食。ご親族など10人ほど。

とりとめもなく、とはいえそれぞれの思いを語って散会。

 

4/2()

箱根カントリー倶楽部。

シーズンインとしてはレベルの高いコースだ。

 

4/3()

朝、ロンドンから戻ってきているRと電話。

少し疲れた。

午後、事務局。

「日韓中テレビ制作者フォーラム」中国の準備会関係について返信。

グランプリもすっきりしないことあり。

何かと面倒。

 

4/4()

午前中、定期検診。

午後、赤坂で桜を観る。

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その後で、大学時代からの友人高橋君と赤坂「砂場」でゆっくり酒を飲む。こういう酒は良い。

体調芳しくなかったというが、こうしてカンバック出来て良かった。

 

4/5()

午後事務局。

夕方、テレビマンユニオンで会長打合せ。

深尾、千葉同席。実務能力の高い二人がいると安心。

終わって、EL BUERO